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2月7日の記事

2017年01月31日

 ジェントルマン at 09:00
《和顔愛語(わげんあいご)》

職員

「○○チャン、ダメーッ」「もーっ、はよーせんね。」
このようなことを恐ろしい顔をして2人の子供に言ってきました。その時の私の顔をみた、子供から「お母さんの顔に、鬼のおる!」と言われたこともありました。このような事ばかりでは、子どもは、反抗するばかりです。それで、腕力を利用し子どもを屈伏させ言うことをきかせてきたように思うこの頃です。
「優しい顔をして叱っても効果がない」と言う人もいるかも知れません。確かにそういうことはあるでしょう。しかし、それは日常生活の中で「和顔愛語」(わげんあいご)というのを心掛けが足りなかったのではないかと思います。
「和顔愛語」というのは「いつもやわらいだ笑顔をし、親愛の情のこもった穏やかな言葉をかわすこと」という意味で、佛教の重要な生活実践の1つです。
今後、2人の子どもの生活環境の中で和顔愛語が十分にあれば、その子どもは身も心も健やかに育つことでしょうし、自然に和顔愛語が身について、家庭や社会を明るくしてくれるでしょう。
ストレス状態、不平不満の多い状態、不安な状態などでは、交感神経ばかりが働いて、心をリラックスさせる副交感神経が働かない状態なのです。
和顔愛語というのは、まさに副交感神経優位の状態で、今流行の言葉で言えば「脳内モルヒネ」が十分に分泌されている状態と言えるでしょう。そして、この状態は心の安定ばかりではなく、体の免疫力も高めると言われます。「和顔愛語」というのは、お金のかからない、人間を幸福にする妙薬と言われてきました。
家でも、2人の子どもに、つい怖い顔をして子どもを叱ってきましたが、これは、優しい顔で叱っても効き目がないと思ったからではなく、普段の自分に「和顔愛語」が身にについていなかったからでしょう。子どもを叱るよりも自分を反省しなければなりません。
これからの人生のなかで「和顔愛語」を考えながら、仕事や子育てに努めていきたいと思っています。
和顔愛語
  


2017年01月24日

 ジェントルマン at 09:00

職員

 孫もいないのに「名づけ」には関心がある。自分の名前にコンプレックスを持っていたからかも…?
「昭和」より「平成」になり「子供の名づけ」も変化してきた。1~2回名前を聞いた位では覚えられない。その漢字もまともに読めないものが多い。一昔前までは、男の子は祖父や父親から一文字貰ったり、女の子も「○○子」という様にすぐ覚えることができた。私も両祖母から一文字ずつ貰ったそうだが、あまり好きでなくフルネームで呼ばれる時には抵抗があった。同級生の「由美」とか「美紀」とかいう名前の人が羨ましかった。還暦近くなって今思うことは、そんな美しい名前は似合わないことを自覚する。
 今は殆どが凝った名前だ。核家族への変化によって命名権が両親だけに移ったからか…因みに2009年の人気名は、男の子では、大翔・翔太・蓮。女の子では、凛・さくら・陽菜などだそうだ。他に、書けそうにない字の名前もランキングに上がっている。
 「名前」は一生使い続けていく大切なもの、生活に不便を来すことはないのだろうか?と勝手に余計な心配をしたりする。
 そんな折、今年になって早々赤ちゃん見舞いに行ってきた。そこで命名の由来を「この子のお父さんがどうしても曾じいちゃんから一字貰うと言ってつけたとですよ…もっと洒落た名前ばつけるぎよかとに…」と言いながらもニコニコして話された。それを聞いてて私まで嬉しくなり、温かい気持ちになった。古風な名前だったが、かえって新鮮な感じさえした。曾祖父より曾孫へ「命名」という名の『襷(タスキ)リレー』そのタスキを繋いでいくことはやはり素晴らしい事だと思う。
  


~『ゆりちかへ』 テレニン 晃子~

2017年01月17日

 ジェントルマン at 09:01
~『ゆりちかへ』テレニン 晃子~

職員

 2013年、一人の女性の闘病生活がテレビ番組でありました。
女性は唐津市出身でした。妊娠中に脊髄悪性腫瘍だと分かり、子供を出産するか夫婦で話し合い、出産することを決意しました。闘病生活を送りながら、女性と同じ誕生日に帝王切開で1200gの女の子を出産しました。育児をしながら闘病生活を送っていましたが、子供を出産して2年後、36歳で他界。
 その女性が、自分は長く生きられないことを知り、自分の子供が成長していく中でぶつかるであろう問題について、自分の考えを書いた本があると知り、購入しました。本には、女の子がぶつかるであろう、『お友だち』『勉強』『学校』『生理』『体の変化』『恋』などについて母親の考えが書いてあり、共感できるところがたくさんありました。私も子育て中でありますが、著者のように子供に残すことができているのだろうかと考えました。 現時点では、健康であるのが普通であり、家族と毎日を過ごすことが普通であり、子供の成長を見られることも普通となっていました。
 この本と出会い、あと何年ぐらい子供と一緒に過ごすことができるだろうと考えました。
そう考えると、一日の生活を大切にし、よい言葉を子供に残していけたらいいなと思っています。
  


子育て奮闘中

2017年01月10日

 ジェントルマン at 09:00
子育て奮闘中

職員

 あっという間に子供も1歳になり、最近はヨチヨチ歩く姿が可愛くて可愛くて仕方ないです。しかし、この1年間、育児の大変さがよくわかりました。妊娠中は、出産の痛みに耐えれば、あとはボチボチ育っていくだろうくらいにのん気に考えていました。
しかし、大間違いでした。まず、出産後すぐに訪れる夜泣き、寝不足との戦い。母乳不足に対してのプレッシャー。妊娠中は15キロの増量で産科の先生に叱られましたが、すぐに元通りでした。産後1ヶ月くらいたってやっと赤ちゃんとの生活になれたように思います。
 その後、やってきた4ヶ月検診で首の座りが遅いと指摘をうけました。遅いほうかなぁとはおもっていましたが、ショックでした。何かの病気かもしれない、私がもっとうつぶせにして首が座るように訓練しなくてはいけなかったのかもしれないと悩みました。周囲の人の「その子その子の成長ペースがあるから心配しなくていいよ」という言葉に励まされたものです。今思うと、単に頭が大きかっただけかもしれませんが…。
 次に訪れた悩みが、離乳食を食べてくれないということでした。離乳食を作ることが大変くらいに思っていましたが、まさか食べてくれないことで悩むとは思いませんでした。本やアドバイスを参考に色々工夫しましたが、離乳食完了期までに吐き出さず食べてくれるのは白ご飯とパンと豆腐、ヨーグルトくらいでした。ここ最近やっと、肉や魚を食べてくれるようになってきました。食に対して興味を持ち始めてくれたようでホッとしてます。 
 他にも、バイバイをなかなかしないことに対して、心配になったりと日々、心配事と解決の繰り返しの毎日です。今では、私が仕事に出かけるとき、両手を思いっきり振って笑顔でバイバイしてくれます。たまには、行かないでと泣きついてほしいなんて贅沢な悩みをもちつつあります。
育児の大変さばかりが伝わってしまったかもしれませんが、それ以上に赤ちゃんにはなんともいえない癒しのパワーがあり、子育てを通して、私も母親として、成長させてもらっていることに感謝しています。

赤ちゃん
  


「肥前浜宿」

2017年01月04日

 ジェントルマン at 09:00
「肥前浜宿」

職員

皆さんに、私が住んでいる浜町について御紹介したいと思います。
 毎年3月の最終の土曜・日曜に「花と酒(咲け)まつり」があります。長崎街道肥前浜宿は、長崎街道多良海道(多良往還)の宿場町として栄えた所です。今でも土蔵造りや茅葺町家が建ち並び、国の重要伝統的建造物郡保存地区に選定されて貴重な伝統的町並みの仲間入りができました。特に、酒蔵通りがおすすめで、7軒の酒屋があります。皆さん、ご存知の方もあると思います。浜宿のイベントで桜と新酒を結びつけ「花と酒まつり」があり、酒蔵見学や新酒の試飲をしてほろ酔い気分でミニコンサートやアート作品展示を見て、花道展、茶会、写真展などを回り、お天気にも恵まれて賑わい、とても楽しいお花見でした。県外からの観光客も多く、福岡県から特に多かったようです。
 又、冬は「ふな市」があり、早朝、夜明け前から酒蔵通りを中心に賑わうところでもあります。皆さんも是非一度は肥前浜宿酒蔵通りを歩いてみて下さい。