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私とあなたの価値観
私とあなたの価値観
職員
数年前、私は友人の父と大喧嘩をした事があった。内容はというと、ギャンブルについてだ。友人の父の休日の過ごし方はパチンコ屋で台を打って時間を過ごすという1日だった。そこで私は思わず「パチンコで1日潰すなんて時間の無駄じゃない?他の事したほうがいいとやない」と声を出して言ってしまった。すると彼は「お前もギターばしよるたい。家にこもってギターばっかりするのもつまらんたい」といわれてしまい確かにそうだと納得した記憶がある。もう一度振り返ってみよう。彼の趣味はパチンコ屋に行くこと。私の趣味はギターを演奏すること。お互い好きなことをしていて、誰にも迷惑をかけずに楽しくすごしているから特に問題はない。そしたら何故、口喧嘩になったのか?答えは簡単、私がパチンコを時間の無駄遣いと言い切ったからだ。今思えばすごく気分を害する事を言ってしまったと反省している。上段の話しの例のように、あなたと私の価値観は全く違うのである。私は音楽(ミュージカル、ストンプ(箒やドラム缶など叩いてリズムを刻む音楽)ジャンベ演奏(アフリカの打楽器)、プロ、アマのライブ観賞、自身のバンド練習)や写真を撮ったり見たりすることや、アメリカのサブカルチャー(ヒップホップ、ブレイクダンス、グラフィティーアート、スケートボード)や、今時ガソリン高騰で絶対維持できず、日本の道路幅いっぱいあり、無駄なデカさと排気量のアメ車が好きだったりと各個人個人で趣味に対しての比重や興味の程度が異なる。例をあげると酒を飲むのが好きだったり、庭造りに没頭し、色々な場所から選りすぐりの苔を持ってきては造園に励み、ある人は競艇や宝くじの購入をしたりと私にとって殆ど縁がない、あまり興味のないものである。しかし、それらに興味のある人にとっては休日を過ごす上で、またストレス発散の捌け口となっているに違いないと思う。逆に私の趣味に賛同してくれる人は田舎にはそうは居ない。大多数の人間があまり馴染みのない言葉と文化だからだ。田舎でも探したら本当に好きな人は見つかると思うし、やはり気が合うか合わないかというのもあるが、お互いの趣味の共通点が大きくずれていなければ大抵は仲良くなれる。そういう仲間の事を「類は友を呼ぶ」ということなのだろうか、勝手に解釈してみた。
ところで人はよく私のことを変わっているねと何気に変人みたいにいうけれど、あなたは変ってないですか?と心の中でいつも思う。変わっているというか、人間、家族、兄弟、恋人、誰1人として全く同じ考えの人はいないから、皆が納得できる妥協点にいかに近づける事が出来るか、相手を理解しようとする気持ちがあるかどうかで見方も変わっていくのではないかと思います。だから犯罪以外で自分のこだわりや、やりたい事、夢を追う事、貫き通す志など、人に何と言われても我が道を突き進んで行っていいのではないでしょうか?あるいはやりたいことがない、無趣味の人でも何か少しでも気になるモノや興味のあるものに出会ったなら興味をもって接するとまた新しい自分の世界観が広がると思います。人間は生まれていつかは死ぬ運命だから何もしないよりは行動したほうがきっと笑って死を迎えれるはずです。