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カント、啓蒙とは何か?より。

2019年01月15日

 ジェントルマン at 09:00  | 誠晴會だより
啓蒙とは、「無知蒙昧な状態を啓発して教えを導くこと」である。
何が「無知蒙昧」なのか?
「自分達の問題は、自分達で解決できるということを知らないこと」である。
具体的にひとつ挙げるとするならば、「人が組織を去るということを妨げる努力は自分達で出来る」ということだ。
本日は、そこに的を絞り、それぞれが、公的視点を持ち、自らの組織をより良いものに仕上げるための方策を見いだしてもらいたい。

カントは、いう。
「啓蒙とは何か。それは、人間がみずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないかではなく他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。だから、人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる」。

「自分の頭で」「いかなる枠組みからも自由に」考えることの反対は、「他人の指示を仰ぐ」ことである。
カントは別の箇所で「考えるという面倒な仕事は、他人が引き受けてくれる」とも書いた。
それは、既成の「枠組み」に従って考えることだ。それが「公的」と「私的」との違いなのである。
国家や政治や戦争について考えるから「公的」なのではない、実はその逆だ。

我々は、みな、私的人物であった。自らの責任で未成年の状態に留まっていた。
私も含めてである。

今からは、組織の中の問題を私的に考えるのでなく、公的に考えてみよう。

「公的」であるとは、「枠組み」などなく考えることだ。そして、一つだけ「公的」である「枠組み」が存在している。それは「人間」であることだ。

その「人間」が、耐えられない理由で組織を去る。それを、指をくわえてただ見ているだけで、終わってはいけないのだ。

さあ、何を、どうすべきか?

指示はしない。指示を仰ぐ者から脱却させるのが目的だからである。

既成の「枠組み」から解放され、「未成年」を脱し、「自分の頭で」、「いかなる枠組みからも自由に」、「理性を使い」考えよう。

そして、よりよい組織を作るために、勇気ある行動を起こすよう祈る。