変化を受け入れないのは死んでるいるのと同じ
2022年01月31日
ジェントルマン at 14:30 | 誠晴會だより
【変化を受け入れないのは死んでるいるのと同じ】
--内田樹先生のように、上手に変化に順応するのはなかなか難しいことのように感じていますが。。。。。
内田:「変化を受け入れられる/受け入れる」という言い方そのものに僕は違和感があります。それって、「変化しないこと」が標準だという前提があるから出てくる言葉でしょ?
でも、生物は変化し、複雑化し、多様化するのは本性です。
変化は「受け入れる」か「受け入れられない」かを自己決定できる対象ではありません。
変化するのが「生きる」ということです。ある状態にじっと静止して、変化しないという在り方を「死ぬ」と呼ぶのです。
つまり、変化を受け入れないということは、もはや死んでいるわけですよ。ですので「死にながら生きたいんですけど、どうしたらいいでしょう」と言われても困りますね。
--「生きるとは、変化すること」とのことですが、どのように変化し、生きることが、人間性の成熟へとつながるとお考えですか?
内田:「与えられた環境でベストを尽くす」というのが、生き物の基本です。
ですから、今回の新型コロナウイルスの発生・流行のように何か思いがけないことが起きたら、「こんなはずではなかった。元の正解に戻せ」とジタバタしても仕方がありません。
与えられた環境で、自分のパフォーマンスが最高になるためにはどうせればいいか、それを一人ひとりが自分で考えるしかない。
--どのような環境においても「考える」行為を決しておざなりにしてはならないのですね。
内田:そうですね。「考えるのがめんどくさい」というのであれば、それは脳が活性化したがっていないということですから、脳だけでなくて、心臓や肺といった全臓器が活動するのを停止したがっているということでなはないですかね?
海外の大学での研修に学生たちを連れて行ったときのことです。研修期間中は学生寮に滞在していたのですが、学生たちは、割り当てられた殺風景な寮の部屋を模様替えしたり、花を飾ったりして「自分にとって快適な空間」につくり変えてしまう子と、「あれがない、これがない、日本と違う」と文句ばっかり言っている子の2パターンに分かれるのです。
この2種類では、当然ながらそこで過ごす時間の密度も深みも違ってきます。
今の時代もそうです。いつ終わるかわからない感染症が終息するまで全時間を恐怖心や怒り怨みに支配されて生きるのは、たぶん病気に感染すること以上に身体に悪いです。
「まあ、こうなっちゃった以上は、しかたないわな」と涼しく環境の変化を受け入れて、その「日常」から引き出し得る「よきもの」をこつこつと探すというのが、「大人」の生き方なのではないかと思います。
--内田樹先生のように、上手に変化に順応するのはなかなか難しいことのように感じていますが。。。。。
内田:「変化を受け入れられる/受け入れる」という言い方そのものに僕は違和感があります。それって、「変化しないこと」が標準だという前提があるから出てくる言葉でしょ?
でも、生物は変化し、複雑化し、多様化するのは本性です。
変化は「受け入れる」か「受け入れられない」かを自己決定できる対象ではありません。
変化するのが「生きる」ということです。ある状態にじっと静止して、変化しないという在り方を「死ぬ」と呼ぶのです。
つまり、変化を受け入れないということは、もはや死んでいるわけですよ。ですので「死にながら生きたいんですけど、どうしたらいいでしょう」と言われても困りますね。
--「生きるとは、変化すること」とのことですが、どのように変化し、生きることが、人間性の成熟へとつながるとお考えですか?
内田:「与えられた環境でベストを尽くす」というのが、生き物の基本です。
ですから、今回の新型コロナウイルスの発生・流行のように何か思いがけないことが起きたら、「こんなはずではなかった。元の正解に戻せ」とジタバタしても仕方がありません。
与えられた環境で、自分のパフォーマンスが最高になるためにはどうせればいいか、それを一人ひとりが自分で考えるしかない。
--どのような環境においても「考える」行為を決しておざなりにしてはならないのですね。
内田:そうですね。「考えるのがめんどくさい」というのであれば、それは脳が活性化したがっていないということですから、脳だけでなくて、心臓や肺といった全臓器が活動するのを停止したがっているということでなはないですかね?
海外の大学での研修に学生たちを連れて行ったときのことです。研修期間中は学生寮に滞在していたのですが、学生たちは、割り当てられた殺風景な寮の部屋を模様替えしたり、花を飾ったりして「自分にとって快適な空間」につくり変えてしまう子と、「あれがない、これがない、日本と違う」と文句ばっかり言っている子の2パターンに分かれるのです。
この2種類では、当然ながらそこで過ごす時間の密度も深みも違ってきます。
今の時代もそうです。いつ終わるかわからない感染症が終息するまで全時間を恐怖心や怒り怨みに支配されて生きるのは、たぶん病気に感染すること以上に身体に悪いです。
「まあ、こうなっちゃった以上は、しかたないわな」と涼しく環境の変化を受け入れて、その「日常」から引き出し得る「よきもの」をこつこつと探すというのが、「大人」の生き方なのではないかと思います。