納富貴院長の窓2
2011年09月28日
ジェントルマン at 09:38 | Comments(0) | 納富貴院長の窓
ここでは、定期的に、院長の関心ごとをつぶやきます。
前回のテーマは「痛みと愛と攻撃と」でした。
今回のテーマは「組織の多様性」です。誠晴會30周年記念誌に掲載されました。
多様性と秩序 文責:納富 貴
誠晴会も職員数100名という大組織になった。
組織は複雑になる。そうなると、さまざまな「組織問題」というものが発生してくる。そして、組織はさらにに複雑化してくる。
100余人の個人は、与えられたグループを形成し、仕事に従事する。また、自然発生的な小組織も形成する。
それぞれの思いを、抜けることなく汲み取ることができる組織というものは存在しえない。ここに、問題が生じる基盤がある。つまり、永遠に問題は生じるのである。
それをどうマネージメントするか。
これを「頭の痛い問題」と考える人もいるであろうが、そう考えても、問題を解決はできない。しかも、今後も、この問題は避けては通れるものでもない。
だったら、逆に、こういう問題に真摯に取り組むことも「誠実な医療・介護を提供する」ということの重要な一部だと思うようにすべきである。
さらにつっこんでこう考えよう。
組織がややこしいありようになるのはむしろ「歓迎すべき事態」である。
そう考えるにしかるべきひとつめの理由は、組織内の関係が複雑になればなるほど、ひとつふたつの問題では、倒れない体力がつくからということである。
出現してくる問題は、往々にして単発の周期的に発生してくる頻度の一定したものである可能性が圧倒的に高い。そのような問題に対しては、がんじがらめの世間体にからまれているほうが、組織力としては上なのである。
夫婦喧嘩が激化する理由は、逆に、一対一のシンプルな構造にある。
構造が複雑になれば、対立が激化するリスクを減じることができる。
他人の他の組織の監視の目が増えれば増えるほど、感情同士がぶつかり合うことが避けられる。
問題を先延ばしできる能力を知らず知らずに兼ね備えている組織となっている。
もうひとつ、「歓迎すべき事態」と考えるべき重要な理由は、組織をマネージし、集団的パフォーマンスを向上させる能力をつけることこそが我々の人生修行の目的の一部だからである。これは、一部の支配層だけに限らない、組織の構成員全員の修行の目的である。
修業とは単に個人の精神的および身体能力を高めることを目的とするのではない。
高い個人的能力に基づいて、「万有共生」のための、風通しの良い、のびやかな共同体の一構成員となることが、修行の究極の目的である。
正常な組織体を形成することが、個人における修業の大切な実践的目的なのである。
問題の発生により、その修行の場を新たに設けていただいたと感謝してもいいほどだ。
小泉改革で急速に進行してしまった、拝金資本主義市場経済と消費文化の中で解体した中間共同体の再構築こそが私たちの喫緊の市民的課題である。誠晴会は地元におけるその再生のための拠点のひとつと位置づけられる。
そしてその誠晴会自体が、厳密な意味における共同体であるためには、「多様性と秩序」が同時に達成されなければならない。
極一部の権力者による独裁政治がなされてはいけない。
決定事項が、民意(職員)の大多数を反映するものでなくてはならない。
単純な構造によってもたらされる、脆弱性を有してはならない。
ただし、運命的に低俗化の傾向を有する民主主義の弊害の存在も、知ってはおくべきであり、家長制に類似する伝統の力も尊重すべきであることも、同義的に内包させなければならない。
これらも、多様性の一因子であるという前提が崩れてはならない。
多様性と秩序は矛盾するわけではない。むしろ多様性が正しい秩序を生む。
多様でなければ、システムは生成的なものにならない。
そして、秩序が保たれなければ多様なものを構成するそれぞれの「弱い個体」は適切に保護されない。
「自由で開放的でありながら、隅々まで配慮と支援のネットワーク」が行き届いた共同体とは、多様性と秩序が調和し運営されている共同体のことである。
そもそもそのような運営ができる(目指している)組織でないと、地域住民への「自由で開放的でありながら、隅々まで配慮と支援ができる医療と介護のネットワーク」を提供できる(したいと思っていると伝えることができる)わけがないではないか!!
誠晴会としてその組織的実践を通じ、検証してゆくことが、私たちの課題なのである。
そして、我々はその目標に接近していくよう、日々、努力しているものである。
前回のテーマは「痛みと愛と攻撃と」でした。
今回のテーマは「組織の多様性」です。誠晴會30周年記念誌に掲載されました。
多様性と秩序 文責:納富 貴
誠晴会も職員数100名という大組織になった。
組織は複雑になる。そうなると、さまざまな「組織問題」というものが発生してくる。そして、組織はさらにに複雑化してくる。
100余人の個人は、与えられたグループを形成し、仕事に従事する。また、自然発生的な小組織も形成する。
それぞれの思いを、抜けることなく汲み取ることができる組織というものは存在しえない。ここに、問題が生じる基盤がある。つまり、永遠に問題は生じるのである。
それをどうマネージメントするか。
これを「頭の痛い問題」と考える人もいるであろうが、そう考えても、問題を解決はできない。しかも、今後も、この問題は避けては通れるものでもない。
だったら、逆に、こういう問題に真摯に取り組むことも「誠実な医療・介護を提供する」ということの重要な一部だと思うようにすべきである。
さらにつっこんでこう考えよう。
組織がややこしいありようになるのはむしろ「歓迎すべき事態」である。
そう考えるにしかるべきひとつめの理由は、組織内の関係が複雑になればなるほど、ひとつふたつの問題では、倒れない体力がつくからということである。
出現してくる問題は、往々にして単発の周期的に発生してくる頻度の一定したものである可能性が圧倒的に高い。そのような問題に対しては、がんじがらめの世間体にからまれているほうが、組織力としては上なのである。
夫婦喧嘩が激化する理由は、逆に、一対一のシンプルな構造にある。
構造が複雑になれば、対立が激化するリスクを減じることができる。
他人の他の組織の監視の目が増えれば増えるほど、感情同士がぶつかり合うことが避けられる。
問題を先延ばしできる能力を知らず知らずに兼ね備えている組織となっている。
もうひとつ、「歓迎すべき事態」と考えるべき重要な理由は、組織をマネージし、集団的パフォーマンスを向上させる能力をつけることこそが我々の人生修行の目的の一部だからである。これは、一部の支配層だけに限らない、組織の構成員全員の修行の目的である。
修業とは単に個人の精神的および身体能力を高めることを目的とするのではない。
高い個人的能力に基づいて、「万有共生」のための、風通しの良い、のびやかな共同体の一構成員となることが、修行の究極の目的である。
正常な組織体を形成することが、個人における修業の大切な実践的目的なのである。
問題の発生により、その修行の場を新たに設けていただいたと感謝してもいいほどだ。
小泉改革で急速に進行してしまった、拝金資本主義市場経済と消費文化の中で解体した中間共同体の再構築こそが私たちの喫緊の市民的課題である。誠晴会は地元におけるその再生のための拠点のひとつと位置づけられる。
そしてその誠晴会自体が、厳密な意味における共同体であるためには、「多様性と秩序」が同時に達成されなければならない。
極一部の権力者による独裁政治がなされてはいけない。
決定事項が、民意(職員)の大多数を反映するものでなくてはならない。
単純な構造によってもたらされる、脆弱性を有してはならない。
ただし、運命的に低俗化の傾向を有する民主主義の弊害の存在も、知ってはおくべきであり、家長制に類似する伝統の力も尊重すべきであることも、同義的に内包させなければならない。
これらも、多様性の一因子であるという前提が崩れてはならない。
多様性と秩序は矛盾するわけではない。むしろ多様性が正しい秩序を生む。
多様でなければ、システムは生成的なものにならない。
そして、秩序が保たれなければ多様なものを構成するそれぞれの「弱い個体」は適切に保護されない。
「自由で開放的でありながら、隅々まで配慮と支援のネットワーク」が行き届いた共同体とは、多様性と秩序が調和し運営されている共同体のことである。
そもそもそのような運営ができる(目指している)組織でないと、地域住民への「自由で開放的でありながら、隅々まで配慮と支援ができる医療と介護のネットワーク」を提供できる(したいと思っていると伝えることができる)わけがないではないか!!
誠晴会としてその組織的実践を通じ、検証してゆくことが、私たちの課題なのである。
そして、我々はその目標に接近していくよう、日々、努力しているものである。